第一巻が扱うのは、創造主なる神についての知識である。しかし、この知識は主に人間の創造において示されているため、人間もまた論議の対象とされる。したがって、論考全体の主要な主題は二つ、すなわち、神を知る知識と、人間を知る知識である。
第1章では、これら二つが共に考察される。続いていく各章では、別々に考察される。ただし、その双方あるいはどちらにも関係し得る事項も導入されている。聖書と神の像(偶像)に関する事柄は神の知識に属し、世界の形成、聖なる御使いたち、ならびに悪魔たちに関する事柄は人間の知識に属する。そして、神が世界を統治される方法(摂理)に関する事柄は、その双方に属する。
これら二つの主題のうちの第一、すなわち神の知識について、本巻は以下のことを示す。
第一に、神ご自身がいかなる種類の知識を要求しておられるか(第2章)。
第二に、どこにおいてそれが求められねばならないか(第3章〜第9章)。その詳細は以下の通りである。
1. 人間の心の中に。しかし、人間にはその知識が授けられているものの、一部は無知によって、一部は邪悪さによって消し去られてしまう(第3章・第4章)。
2. 世界の構造の中にではない。なぜなら、神の知識がそこで最も輝かしい明白さをもって輝いているとしても、その種の証明は、いくら明白であっても、私たちの愚かさのゆえに全く無益となってしまうからである(第5章)。
3. しかし、聖書において[求められねばならない](第6章〜第9章)。
第三に、神がいかなるお方であるか(第10章)。
第四に、神に目に見える姿を与えることの不敬、ならびに像の崇拝とその起源に関する考察(第11章)。
第五に、神おひとりだけが至高の礼拝を受けるべきであるという正当性(第12章)。
最後に、神の本質の唯一性と、三つの位格(ペルソナ)の区別について(第13章)。
二つの主題のうちのもう一方、すなわち「人間の知識」について、本巻は以下の内容を含んでいる。
第一に、世界の創造、ならびに善なる御使いたちと悪なる御使いたちについての論考。これらはすべて人間に関係している(第14章)。
第二に、人間自身へと進み、その本質と能力の吟味(第15章)。
しかし、神と人間についての知識をより明確に説明するために、残る三つの章では、偶然や運命(宿命)に対抗して、人間のあらゆる行為および世界全体を神が統治されることについて論じ、純正な教理を明らかにするとともにその益(用い方)を示している。
そして、神は悪人の働きをも用いられるが、神ご自身はあらゆる汚れから清く、いかなる責めも負うべきではないことを証明して締めくくっている(第16章〜第18章)。
